2025/01/10

【海外の反応】東ドイツってどんな国だったの?

ブラジルの名無しさん
東ドイツってどんな国だったの?

ロシアの名無しさん
不滅の楽園、単一民族国家
素晴らしい時代
仲間たちとお酒に溺れることができる

ドイツの名無しさん
悪すぎて今日でも東から西へ移住する人がいる

ドイツの名無しさん
知りたいのなら『善き人のためのソナタ』を見るといい
https://www.youtube.com/watch?v=2C844bEAOv8

スウェーデンの名無しさん
奴隷労働
政治的自由はない
スターリン主義者の弾圧

  ドイツの名無しさん
  >奴隷労働
  建設兵士のことかな?
  >政治的自由はない
  今日と違って?

  スウェーデンの名無しさん
  東ドイツにはイケアの奴隷工場がいくつもあったよ

ドイツの名無しさん
待つことが全てだったよ
食べ物をもらうために列で待つ
プラスチック製の車に20年待つ
テレビスクリーンに10年待つ
ラジオに5年待つ
バナナを買う列に立つチャンスのために1年待つ
ボーキサイト鉱山に働きに行きながら大学に行くために最長10年待つ(良い子だった場合)
アメリカの音楽をラジオで聞いているのを隣人に聞かれたら裁判のために拷問刑務所で最長10年待つ
隣人にジーンズの話をしているのを聞かれてシュタージ(秘密警察)が家の捜索をしているのを待つ

  スウェーデンの名無しさん
  >テレビ
  >ラジオ
  >バナナ
  >アメリカの音楽
  >ジーンズ
  >コカ・コーラ
  >マクドナルド
  >iPhone
  >任天堂
  >マーベル映画
  >ファンコ・ポップ
  

    ベルギーの名無しさん
    これらを少しの間、取り上げたらほとんどの一般人は発狂するよ

ドイツの名無しさん
>東ドイツの現実を知りたいのなら悪名高い西ドイツのプロパガンダ映画を見よう!
Wessis(西ドイツ)マジですか?

  ドイツの名無しさん
  >とても素晴らしい!それ以外のものがなかったらRobotron VEBは火星に植民地を作っていただろう!

  ドイツの名無しさん
  いや、我々はみんな東ドイツが楽園だったことを知っている
  だから壁を造って犬と地雷と自動射撃システムを西ドイツに向けたのだ

  ドイツの名無しさん
  僕は犬と地雷と犬と地雷と自動射撃システムをイス〇ム教徒とグローバリズムと西洋のデカダンスに向ける

    ドイツの名無しさん
    自由にロシアに帰っていいですよ

オーストラリアの名無しさん
最近『グッバイ、レーニン!』を初めて見たけどすごく魅了された
もしかしたら壁は残すべきだったのかもしれない

ドイツの名無しさん
”さすが”だった
移民はいない
100%の愛国主義
ヨーロッパ最強の軍隊
同志愛
ほとんどの東ドイツ人は東ドイツに復活してほしいと願っている
少なくとも夜に10代の難民に刺されずに出歩くことができる
https://youtu.be/UvEzFW_pH1g?si=UGhZVm_wr5yc4-D5

ルーマニアの名無しさん
東ドイツにはアフリカとアジアの社会主義国からの移民がいたよ

アメリカの名無しさん
>イエス!私の国を支配してください、ロシアさん I love you
Ossis(東ドイツ)は寝取られているし貧しい
そんなに良かったのなら冷戦に勝利していたはずなのに敗北した

  ドイツの名無しさん
  第二次世界大戦前、我々は常に西ドイツよりも豊かだったよ
  特に今はリッチなバイエルンはかなり貧しい後進地域だった
  違いは我々はロシアと西ドイツに略奪されたのに対して西ドイツはアメリカに資金援助を受けたことだ
  西ドイツは今、緑の党を入れたおかげで破綻しようとしている
  緑の党は西ドイツが1968年の革命を防げなかったせいで誕生した
  この国は間もなく第三世界になるがそれは全て自分たちのせいだ
  

アメリカの名無しさん
統一前の1991年に行ったけど、貧しい西ドイツに見えた
トラバント(東ドイツの小型乗用車)の出す2サイクルエンジンのせいで酷い匂いがした
僕はドイツ語を少し話せたけど我々がアメリカ人だと知ったらみんなビビって話しかけてこなくなった
おそらく秘密警察(もういなかったとしても)にアメリカ人と話しているのを見られたくなかったのだろう
あとディナーで今までで最高のステーキを食べた
『ロッキー・ホラー・ショー』を見てその後ナイトクラブに行った
ホテルは空いてなかったから駅で寝た
これはマイニンゲンでの話だ

ドイツの名無しさん
東ドイツの両親によると…
>今日ほど食べ物に多様性はなく特に多くのフルーツは手に入らなかった、バナナとオレンジのために列に並んだ、不便なこともあったけど今日と違ってもっと感謝していた
>若い夫婦が子供が生まれた後にトラバントを注文すると16歳から18歳の誕生日になるまでにゲットできるのは珍しいことじゃなかった
>シュタージはウザかったけど、父親によると実際よりも完全に悪く描かれている、間違ったことを言ったり間違った人と知り合いになると投獄されかねない、実際僕の両親二人に起こったことだ
>ほとんどの製品は西ドイツと比べ物にならないけど何でも修理するから長く使うことできた
>国家人民軍では最もバカなことを経験できる
>西側への通信手段につながるものは厳しく検閲を受けた、もちろんルールを破る人はたくさんいて西側のテレビを受信するアンテナを作る人もいた
>幼稚園がないなどの社会問題はなかった、みんな働いていたし道路で寝る人はいなかった
>若いうちに結婚して子供を持つことは例外的なことだったが、若い夫婦は国から支援を受け早めにアパートに入ることができる、子供ができなかった夫婦はカスだとみなされていた
これが今僕が思い出せる全てだ

オーストラリアの名無しさん
おそらくほとんどの人が言うよりは良かったよ




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